Thursday, February 23, 2017

「オリオール」 W.ハリソン・エインズワース作

Auriol (1844) by W. Harrison Ainsworth (1805-1882)


ファウスト伝説を主軸にしたゴシック小説である。意外と面白かったので書評を書く気になった。
 エインズワースは十九世紀の中期から後期にかけて活躍した作家である。最初は法律家を目指していたようだが、性に合わず、ジャーナリズムや文学の世界に飛びこむことになる。生前はかなり人気があって、多作だったが、今は忘れられてしまった作家である。しかし彼の「ウィンザー城」はいまでもなかなかの幽霊譚だと評価されている。
 
 「オリオール」はまず1599年から始まる。オリオール・ダーシーという若者がオールド・ロンドン・ブリッジの近くで怪我をし、錬金術師をしているお祖父さんの家へ運ばれる。この錬金術師、そのときちょうど不老長生の薬を発明したところで、喜んで飲もうとしたのだが、突然発作に襲われ薬を飲むことができなくなる。そしてオリオールがかわりにそれを飲んでしまうのである。飲むと怪我はたちまちにして癒え、彼は永遠の生を得た。

 今度は舞台は1830年に移る。オリオールはあるとき暴漢に襲われ、意識を失ったまま鍛冶屋のソーニークロフトの家に運ばれる。ここで彼女の娘エッバがハンサムなオリオールに懸想するようになる。オリオールはエッバに、私のことは締めてほしい、私を愛すると大変なことが起きると言う。彼は奇怪な人物によってその運命を握られていて、彼を愛した女はみなこの奇怪な人物に奪い去られることになっているだ、と。そして実際、エッバは奇怪な人物によって誘拐され、肉体と魂を彼に引き渡すという証文にサインさせられるのである。

 さて今度は1800年が舞台となる。ここで前に出た奇怪な人物がサイプリアン・ルージュモントという貴族であることが分かる。彼は悪魔から得た財産を使ってオリオールとこんな契約をかわす。おまえにわたしの贅沢な屋敷と十二万ポンドの現金をやろう。そのかわりおまえを愛した女をわたしは生贄としてもらうぞ、と。オリオールはそのときエリザベスという女と恋をしていたが、金がなく結婚ができないでいた。そこで悩みながらもこの契約に同意したのだが……契約が成立するとサイプリアンはさっそくエリザベスを生贄に捧げることを要求してきたのである。こうしてエリザベスは連れ去られてしまった。

 最後の場面は1830年に戻る。エッバが連れ去られたあと、彼女の父や何名かの協力者がエッバを探してあやしげな屋敷に潜入する。そこでいろいろと恐ろしい目に会うのだが、ついにサイプリアンを探し出し、彼に向かってピストルを撃つ。ところがどうだろう、サイプリアンは銃弾をくらっても死なないのである。救助隊は落とし穴に落とされ、機械仕掛けの天井が徐々に彼らの頭の上に降りてくる……

 と、そのとき、オリオールは眼を覚ますのである。ふと気がつくと彼がいるのは1599年の世界だ。お祖父さんの錬金術師も生きている。彼は何百年も生きた夢を見ただけなのである。

 なんだその手の落ちが待ちかまえているのか、とがっかりすることはない。それまでの話はずいぶんと面白く書けている。まず雰囲気がいい。夜とか閉ざされた場所で事件が展開され、ほとんど息苦しいぐらいであるが、しかしこれがゴシック小説の書き方なのだ。物語の後半、エッバを探してあやしげな屋敷に潜入した捜索隊が、天井から降りてきた鐘状のマスクに顔をおおわれる部分などは、その異様さがウォルポールを思い起こさせる。

 普通、ファウスト伝説では魂を悪魔に売り渡す代わりに現世の利得を手にする。その中には世界最高の美人も含まれているわけだ。ゲーテのファウストにしろ、マーローのファウスト博士にしろトロヤのヘレンを手に入れるし、マリー・コレーリの「悪魔の悲しみ」では主人公は当代随一の美人と結婚する。もっとも「悪魔の悲しみ」の場合、その結婚は破綻に終わるのだけれど。ところがオリオールは愛する人を悪魔のようなサイプリアンに奪われる。作者はファウスト伝説にちょっとしたひねりを加えたようだ。これも悪くない。夢から覚めたオリオールは、欲望の対象が常に奪い去られる自分の運命からなにを学んだのだろうか。

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By Hablot Knight Browne (Phiz), scanned by Steven J Plunkett - Auriol by Harrison Ainsworth, early printing, Public Domain, Link

Saturday, February 18, 2017

「リリスの魂」 マリー・コレーリ

The Soul of Lilith (1892) by Marie Corelli (1855-1924)

 以前書評した「ジスカ」が非常に面白かったので、コレーリの作品をふたつ読んでみた。「アーダス」と「リリスの魂」である。ただ両者はよく似たテーマを扱った物語で、どちらかと言えば後者のほうが出来はいいので、ここでは「リリスの魂」を紹介する。

三巻本の長い話だが、主人公はエルラミという東洋人の科学者である。マリー・コレーリの物語ではよく科学と信仰が対立している。彼女が生きた時代は科学者が傲慢な発言をしていた時代で、たとえばウィリアム・トムソン(1824-1907)という物理学者などは、物理的事実の根底にある大原則はしっかりと定められた、あとは小数点以下の数値を精密に決定するだけだ、などとまで言っている。これに対しては当然ながら反発が起こり、科学では解明できない神秘への関心も高まった。それがスピリチュアリズムで、コナン・ドイルなどもこれには深甚な関心を寄せている。マリー・コレーリも科学が嫌いである。それは愛とか魂とか死後の世界などといったロマンチックな夢を否定するからだ。エルラミは徹底して科学の力を信じている。しかも実際に一度死んだ女の子を薬によって生き返らせるほどの科学的知識を持っている。このエルラミによって生き返った女の子が表題のリリスだ。

 生き返った、といっても、普通の人間のように動きまわることはできない。彼女はただ死者のように寝ているだけである。それでも息をし、成長もするのだ。いま彼女は小さな女の子から美しい女へと育った。エルラミが話しかけると、彼女はその声に応える。そしてエルラミを困惑させるようなことを言うのである。

 リリスは死は存在しないという。魂がべつの世界へ移動するだけなのだという。それは光に満ちた宇宙であり、エルラミの家のように薄暗くはない。ところがリリスは科学の力によって命を長らえさせられ、肉体を保持され、魂がべつの世界へ完全に移行することができないのだ。

 肉体は魂の牢獄である、という考え方がプラトン以来あるけれど、「リリスの魂」の根底にあるのはこの思想だと思う。魂は死んだとき薄汚れた肉体からイデアの世界に移行するのだ。しかしリリスはその移行を邪魔されている。彼女は現世と来世の中間地帯にいて、来世という光の世界へ行きたいのに、それがままならないのである。

 「リリスの魂」も「アーダス」も科学と神秘思想の対立に関していろいろな議論を長々と展開している。物質論的、現世主義的、拝金主義的な当時の考え方を批判するという点で、神秘思想はある程度有効である。しかしどちらの小説を読んでも私はあまり感銘を受けなかった。なぜならこのような対立は贋の対立だからである。べつにデリダのように二項対立を脱構築しなくてもいい。物質的で、現世主義的で、拝金主義的な人間が、コレーリの説くような神秘思想、イデア的な世界に親しむことはよくあるということに気づけば、両者の間に本質的な対立がないことがわかるだろう。たとえば鈴木大拙なんぞは、仏教哲学者で深遠な神秘思想の持ち主だったが、同時に彼はその神秘思想をもっていかに中国人を殺すかと言うことを軍人に説いていたのである。神秘主義と血なまぐさい現実主義とは対立するどころかつながっているし、補完し合ってすらいる。がめつく金儲けにはげむ社長さんが、熱心に写経したり、教会に通うことはよくあることである。

 「リリスの魂」を読んでいてつまらないのは、作者がそのことに気づいていないからである。彼女の批判を読んでも、結局のところ、私はブルジョア世界の外に出たという気がしない。それどころかブルジョア的な価値観を強化しているのではないのかという疑いさえ抱く。

Wednesday, February 8, 2017

番外 読書「刑」

歴史的なアフリカン・アメリカンの学校校舎に五人の少年が人種差別的、反ユダヤ的、そして猥褻な落書きをして捕まった。彼らに対する判決がヴァージニア州の裁判所で下された。裁判官は五人の少年に三十五冊の本を読み、十四の映画を見、二つの博物館を訪ね、「性、人種、宗教、偏見への理解を深めるために」レポートを一本書くように命じた。

検察のひとりの女性は司書の娘で、なにも知らないバカな少年たちを教育するにはいい機会であると、このような「刑」を求めたのだった。

ガーディアン紙の記事によると、読書を義務づける判決が出たのはこれが最初ではないそうである。去年の九月、イタリアで、売春をはたらいていた十五歳の少女が三十冊のフェミニズム関係の本を読まされることになった。ところがどういうわけか、この少女を買ってセックスをしようとした三十五歳の男にはただ二年間の禁固刑が下っただけだった。

私はこの記事を読んで二つのことを考えた。

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By Eneas De Troya from Mexico City, México - Lectura para unas vidas, CC BY 2.0, Link


まず第一に読書を「刑」に含めることは非常によい。もっとこのような判決が増えることを期待する。強制的な読書というのは苦痛であり、受刑者に砂を噛むような思いを味わわせるだけになるのかもしれない。そしてその結果いっそう偏見に凝り固まることになるのかもしれない。けれどもその一方で何人かは砂のなかにキラリと光る金を見つけ、それが心になにかを植えつけ、彼らを変えていくかもしれない。どちらの目が出るかはわからないが、とにかく教育の機会を与えることはすばらしいことである。ただ罰するための刑は受刑者を変えることはないだろう。

読書「刑」が増えて、新聞にもその「強制的」読書リストが公表されるようになれば、一般人も興味を惹かれて本を読むようになるかもしれない。自分が知らない「名著」を囚人が読んでいる、となると、勉強熱心な人なら読書の意欲をかき立てられるはずである。また読書リストに対して議論が湧き起こるかもしれない。この本よりもあの本のほうが興味深いし、テーマを深く掘り下げている、などといった具合に。犯罪から文化が生まれるなら、こんなに喜ばしいことはない。

もう一つ考えたことがある。それはイタリアの売春婦には読書が課せられたが、客の大人のほうにはそれがなかったという点にかかわる。なぜ大人には読ませないのか。子供はまだ知識が足りないが、大人には充分な分別が備わっている、あるいは大人はもう教育の余地がないとでも考えているのだろうか。永山則夫の例もあるように、大人だって教育を受けることは大切である。かりに受刑者が大学教授であってもだ。

司法と教育がこのように合致することに不安がないわけではない。たとえば国家が極端に内向き・保守化して、司法が受刑者に差別的書籍を強制的に読ませるようになったらどうなるだろうか。あるいは政府のイデオロギーに合致した書籍ばかりを読ませるようになったとしたら。わたしはそれでもかまわないと思う。読書、書籍というものは不思議なもので、どんなものも思考を鍛錬する。イデオロギーの別を問わず、すぐれたものほど思考を多面化し、複雑化する。

さて今回ヴァージニアの裁判所が五人の少年に読むことを課した三十五冊の本は次の通りである。

1. The Color Purple by Alice Walker
2. Native Son by Richard Wright
3. Exodus by Leon Uris
4. Mitla 18 by Leon Uris
5. Trinity by Leon Uris
6. My Name Is Asher Lev by Chaim Potok
7. The Chosen by Chaim Potok
8. The Sun Also Rises by Ernest Hemingway
9. Night by Elie Wiesel
10. The Crucible by Arthur Miller
11. The Kite Runner by Khaled Hosseini
12. A Thousand Splendid Suns by Khaled Hosseini
13. Things Falls Apart by Chinua Achebe
14. The Handmaid’s Tale by Margaret Atwood
15. To Kill a Mockingbird by Harper Lee
16. I Know Why the Caged Bird Sings by Maya Angelou
17. The Immortal Life of Henrietta Lacks by Rebecca Skloot
18. Caleb’s Crossing by Geraldine Brooks
19. Tortilla Curtain by TC Boyle
20. The Bluest Eye by Toni Morrison
21. A Hope in the Unseen by Ron Suskind
22. Down These Mean Streets by Piri Thomas
23. Black Boy by Richard Wright
24. The Beautiful Struggle by Ta-Nehisi Coates
25. Eichmann in Jerusalem by Hannah Arendt
26. The Underground Railroad by Colson Whitehead
27. Reading Lolita in Tehran by Azar Nafisi
28. The Rape of Nanking by Iris Chang
29. Infidel by Ayaan Hirsi Ali
30. The Orphan Master’s Son by Adam Johnson
31. The Help by Kathryn Stockett
32. Cry the Beloved Country by Alan Paton
33. Too Late the Phalarope by Alan Paton
34. A Dry White Season by Andre Brink
35. Ghost Soldiers by Hampton Sides