Tuesday, September 5, 2017

終わりに(その四)

後書き

 四

 さて「堕落した女」と「新しい女」についても簡単に説明しておきましょう。

 本書では女性の堕落が何度も問題にされています。出版社のモージソンは、最近は家庭内に不道徳な事件が起きるという話が受けるんだ、と言い、シビルは不貞をはたらこうとし、ルシオは子育てに専念しない女性をこっぴどく批判し、堕落した女性を嫌悪しています。テンペストがはじめてシビルに出会った劇場では堕落した貴婦人を賛美する芝居を上演していました。じつは一八九〇年代は「不道徳な女」、「過去のある女」を主題にした文学作品がおそろしくたくさん発表された時期でした。とりわけ演劇ではこの主題が大人気だった。誘惑に屈する処女、捨てられた情婦、不倫をする女、未婚の母、等々を扱った劇は、もともとはフランスで盛んに演じられていたのですが、九〇年代に入ってその流行がイギリスにもやってきました。ヘンリー・アーサー・ジョーンズやアーサー・ウィング・ピネロといった劇作家は隨分この手の作品を書いていますし、オスカー・ワイルドやジョージ・バーナード・ショーも例外ではない。当時のはやりの劇はみんなふしだらな主題を扱っていたと言っていいくらいです。特にピネロの「タンカリーの後妻」(一八九三)は有名です。上流階級のタンカリーが身分違いの、しかもいかがわしい過去のある女と再婚します。後妻は上流人士の生活に自分を合わせようとしますが、なかなかうまくいかない。そこに決定的な悲劇が生じます。タンカリーの娘(後妻にとっては継娘)が恋に陥るのですが、その相手というのが後妻と昔関係のあった男だったのです。これが原因となって後妻は自殺してしまう、という内容です。

 「ピーター・パン」の作者J・M・バリーは、この手の劇の氾濫を風刺して「アリス」(一九〇五)という抱腹絶倒の喜劇(半分小説で、半分戯曲のような作品です)を書いています。一週間に五回も六回も「過去のある女」の演劇を見ている二十歳前の女の子が、お芝居に想像力を刺激されたせいでしょうか、自分の母親が父親以外の男と関係を持っていると妄想するようになるのです。「悪魔の悲しみ」の中でシビルは自分のことを「いまの時代の道徳的な堕落と扇情的な文学によって、徹底的にしつけられてきた退廃的な女」などと言っています。これを読んで、文学ごときに人間性がそれほど左右されるものかと、彼女の言葉の大袈裟さに鼻白んだ方もいらっしゃるかもしれませんが、しかし女の堕落を描いた作品は事実として当時非常に多かったし、女性はこうした作品に接すると、その影響を強く受けると一般に考えられていたのです。今の世の中でも、ポルノグラフィーが性犯罪の誘因になっていると考える人がいるのと同様です。

 堕落した女にかてて加えて、「新しい女」も世間を騒がせていました。「新しい女」とは今で言うフェミニストのようなものです。(ちなみに本書には「新しい××」という言い方がたくさん出てきますが、この当時は間近に新世紀が迫っていることもあって、いろいろなものに「新しい」という形容詞がくっつけられました)十九世紀のイギリスは産業化が進み、女性が有力な労働力として社会に進出するようになりました。そうなれば当然、女性の権利の拡大が求められ、古くさい道徳観や慣習が否定されるようになります。旧来のおしとやかな女性、夫を慰め、子供を優しく育てる女性ではなく、自転車に乗って颯爽と道を行く女性、鼻眼鏡をかけ堂々と議論する女性、スポーツをする女性、煙草をふかす女性、性愛や結婚に対して新しい考え方を持つ女性。こうした女性が世紀末のイギリスに登場し、雑誌や新聞の紙面をにぎわせたのです。

 「新しい女」は小説によってよく主題として取りあげられました。ハーディ、メレディス、ギッシングといった大物作家も「新しい女」を扱った作品を書いていますし、九〇年代に入ると、本書でも言及されている「新しい女流作家」たちが、かなりどぎつい論争的な作品を書くようになりました。とりわけ「悪魔の悲しみ」が出た一八九五年は小説の世界において「新しい女」がたいへん話題になった。この年の二月にグラント・アレンという作家が「やってしまった女」という小説を発表し、大人気になったのです。これは主人公の若い女性が恋人に、結婚せずに同棲しようともちかけ(彼女は牧師の娘ですからこれだけでもうスキャンダラスです)、そのために恋人が死んだときに遺産を受けることができず、シングル・マザーとして娘を育てるという話です。この女主人公は「新しい女」の典型と見なされ、またこの作品はフェミニズム運動において里程標的な一冊と考えられています。さらにこの作品に刺激されて、同じ年のうちに二冊の似たようなタイトルの本が出版されました。ヴィクトリア・クロスの「やらなかった女」とルーカス・クリーブの「やろうとしなかった女」です。この現象は、「悪魔の悲しみ」が書かれた時期、「新しい女」にどれだけ注目が集まっていたか、そして「新しい女」がどれだけ盛んに議論されていたかということを象徴的に示していると思います。実際、九〇年代は、ノーティー・ナインティーズ(お行儀の悪い九〇年代)などと呼ばれることもあります。


The new woman--wash day-crop.png
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 「堕落した女」と「新しい女」は厳密に言えば別物ですが、ただどちらも旧来の女性道徳に反旗を翻したという点では同じです。そのためごちゃ混ぜにされて論じられることもしょっちゅうでした。「悪魔の悲しみ」で言えば、シビルは堕落した女であり、メイヴィスは新しい女(もっとも通俗的な「新しい女」のイメージからはかけはなれているようですが)と言えるでしょう。しかしシビルは自分のことを「新しい女」の時代の一人と考えているようですし、ルシオが女性を非難する口ぶりを見ていると、「堕落した女」と「新しい女」は截然とは区別されていないように思えます。