Saturday, September 2, 2017

終わりに(その一)

 「悪魔の悲しみ」の翻訳作業が終わりに近づき、いろいろ忙しくなってきた。あと数回訳文のチェックをした後、epub版の作成や、表紙の作成をしなければならない。これが結構たいへんなのだ。とくに美的なセンスのない私にとって表紙の作成はアタマがいたい。

しかし解説はそれなりによいものが書けたと思っている。私がミステリの問題点として考えてきた外形性の問題が、「悪魔の悲しみ」では「信」の外部性という形で展開されていることを指摘できたのだから。たぶんこんなことは今まで誰も指摘していないだろうし、私はこれは重要な論点になると思う。

 というわけで、翻訳作業の終了が目前に迫ってきたのでこのブログはここで終了しようと思う。初回に書いたように「唐突に」終わりを迎えることになったが、しかしこのブログであれこれ考えたことが「悪魔の悲しみ」の読解に大いに役に立ったことは間違いない。その意味では立派な成果を出してこのブログは終わることになる。

 最後に新しい翻訳の後書きをここに転載しておこうと思う。私は後書きを読んでその本を買うか買わないか決めることが多い。この後書きを読んで本を買ってくれる人が増えたらうれしい。隨分苦労して訳出した作品だから。(後書きは長いので五回に分けて掲載します)

――

後書き

 一

 本書を読まれた方は、主人公のジェフリー・テンペストをどのような人間だと想像されたでしょうか。

 一九二二年の五月、パリにいたジェイムズ・ジョイスは、とあるパーティーではじめてマルセル・プルーストに会いました。プルーストが毛皮のコートを着てようやく部屋に入ってきたとき、ジョイスはその格好を見て「『悪魔の悲しみ』の主人公みたいだ」と思い、そのことをパーティーの帰りに友人に語っています。リチャード・エルマンの伝記によるとジョイスが「悪魔の悲しみ」を読んだのは一九〇五年ごろのこととか。「失われた時を求めて」の作者に会ったのは、それから十七年後のことです。そんなに時間が経っても、ふとその小説のタイトルを口にしたということは、「悪魔の悲しみ」の印象がそれなりに強く残っていたということでしょう。ジョイスも堕天使の物語に惹かれ、自分の作品の中に取り込んでいたのですから、彼が「悪魔の悲しみ」をよく覚えていたとしても不思議ではないのですが、しかしそれにしてもプルーストとの初めての出会いでこの作品の名を出したという事実はちょっと意外で印象的です。わたしはこの挿話が非常に強く記憶に残り、「悪魔の悲しみ」を読むときはいつも、あのまぶたの重たげなプルーストの顔を思い浮かべてしまいます。