Tuesday, May 30, 2017

近況報告(その二)

 十九世紀は合理性とか科学性とか物質主義といったものがはびこっていった反面、スピリチュアリズムという精神的なものへの関心も高まっていった。The Ashgate Research Companion To Spiritualism And The Occult (2012) の中でJ.ジェフリー・フランクリンという人が簡潔にスピリチュアリズムの歴史をまとめているのでそれをここに引き写すと、まず十九世紀前半(三〇年代)に、フランツ・アントン・メスメルの「動物磁気」を利用した治療法に対する関心が呼び起こされた。ちょうどイギリス国教会の力が衰えていった時期である。メスメルはヒステリー患者の身体に磁石をつけて、鉄を含む飲み物を飲ませ、体内に人工的な流れをつくり出して治療を試みたりした。彼の考え方や治療法からのちに「メスメリズム」(催眠術)が生み出されることになる。「動物磁気」に対する反応は賛否両論あった。フランクリンはこの論争を四つの陣営に分けて考えている。一つはジョン・エリオットソンのようにメスメルの言う「磁気」を自然に基づくものと考え、終極的には科学によって説明されるものとする意見。第二はそれに反発して、動物磁気は科学的ではないとする意見。第三は動物磁気は心霊現象で、科学的に考えようとする第一の意見は近視眼的だと考える立場。第四は動物磁気は、正統的なキリスト教の考え方からははずれている異端的立場である、あるいは逆に動物磁気は物質的すぎて心霊現象とはいえないとする立場である。

 こうしたメスメリズムの騒動のあとに来たのが、一八四〇年代にニュー・イングランドで発生したスピリチュアル運動で、これはイギリスと大陸を席捲した。このあたりのことはコリン・ウィルソンなどが面白い本を出しているので説明はそちらに譲るが、とにかくこれがきっかけとなってヴィクトリア朝の人々は降霊会を開くようになり、いかがわしい霊媒どもが跋扈するようになった。しかしこの動きは単に新奇なものへの興味だけから起きたわけではない。当時はびこりつつあった物質主義へのアンチテーゼという側面を見落としてはならないだろう。この「物質主義」という言葉は当時、無神論や科学主義、拝金主義(mammonism)などを意味する。人間の魂を否定するものとして、この時代の最大の悪者と見なされていたものである。「悪魔の悲しみ」においても無神論、科学主義、拝金主義は徹底的に批判されている。スピリチュアリズムを擁護する人々は、「物質主義」を否定する足がかりとして心霊現象を利用していたのである。

Hours with the ghosts, or, Nineteenth century witchcraft - illustrated investigations into the phenomena of spiritualism and theosophy (1897) (14755394226).jpg
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 さらに一八六〇年代に入るとメスメリズム、スピリチュアリズムと続いてきた運動は世紀末を特徴付ける、オカルト的宗教運動へと変身していく。その特徴をあげると、たとえば神智学協会の設立に見られるように運動が組織化されたものになり、その思想の由来や原理が定められ、さまざまなオカルト的教義が混淆されたものとなる。オカルト的な教義の混淆とは、たとえばエジプトの多神教とかカバラとかプラト二ズムとか占星術とかグノーシス主義とかヒンデゥー教とか仏教の教えがいろいろと織り込まれているということである。

 ヴィクトリア朝のスピリチュアリズムの歴史をざっと振り返るとこんな具合になるのだが、おおざっぱでもそれを知っておくことは「悪魔の悲しみ」を理解する上で非常に役立つ。この作品のなかではキリスト教が支持され、神の存在が主張されているが、同時に一風変わった悪魔の位置づけが行われ、輪廻転生思想が混じり込んでいる。この混淆性はまさしく一八六〇年代からの宗教運動の影響を受けたものなのである。

 フランクリンが指摘していることのなかでもう一つなるほどと感心したのは、キリスト教の力が弱まったから、それを補う意味でスピリチュアリズムが利用されたという点である。十九世紀末と言えば、「悪魔の悲しみ」にも出てくるけれど、「神は死んだ」という標語がはやった時期である。信仰の力に疑問符がつけられた時代なのである。凋落したキリスト教をスピリチュアリズムによって再活性化しようとする試みが、ブルワー=リットンやコレーリの作品に見られるのではないか、とフランクリンは論じている。彼はスピリチュアリズムに注目してブルワー=リットン、ハガード(幻想的な冒険小説「彼女」の作者)、コレーリという系譜を見出しているのだが、これは今まであまり指摘されたことのないヴィクトリア朝文学の特色ではないだろうか。

Saturday, May 27, 2017

近況報告 (その一)

昨年からマリー・コレーリの The Sorrows of Satan の翻訳をしている。細かい活字で五百ページほどもあるので作業がなかなかはかどらなかったのだが、ようやく全体を訳し終わり、今は推敲の段階に入っている。翻訳作業の中で、実は、これがいちばん大変なのだ(私にとっては)。今までも何度も訳文を読み返して手を入れているのだが、それでも不満が次から次へと出てくる。それゆえまた原文を読み返し、訳文を改め、ときにはまるまる一章、訳し直したりする。推敲の課程は、はっきりいって絶望との戦いである。自分にはまるで文章の才能がないことを自覚させられ、それでも作業をつづけなければならない。気が滅入って、三行ほど読んで推敲をやめることもある。しばらく別のことをして、気を取り直し、国語辞書や類語辞典や自分で作った表現集などをひっくり返して、文章を書き改め、先に進む。こういうことを全編にわたって数十回繰り返すのである。短い作品なら百回はやるだろう。長い作品だと二十回くらいだろうか。


 The Curious Incident of the Dog in the Night-Time の作者マーク・ハドンが、あれはガーディアン紙だったろうか、自分の小説の書き方について記事を出していた。彼は書き上げてから延々と推敲をするのだそうである。そして奇跡が起きるのを待つのだそうだ。わたしも延々と推敲をするが、奇跡など起きたためしがない。もちろん創作と翻訳じゃ、ぜんぜん話がちがうのだろうし、そもそもハドンの才能と私の才能じゃ比較にはならないのだけれけど。しかし苦しんで推敲すれば非才の私の文章でもちょっとはよくなる(と思っている)。それを繰り返し、もうこれ以上はよくしようにも、自分の才能に限界があるとあきらめがついたとき、推敲をやめることにしている。時間をおいてまた推敲すれば訂正したい箇所が出てくることは事実だが、それをやっていたらいつまでも終わらないことになるから、その時その時の自分の限界をもって作業を終了することにしている。絶望と自己嫌悪にはじまり、奇妙なあきらめの境地で終わる、どこにも楽しさなど存在しない作業段階なのである。奇跡が起きてくれたらどんなにうれしいだろう。

 マリー・コレーリについてはこのブログで何度か作品をレビューした。彼女の第一印象を一言で言えば、スペクタクル描写がすばらしいということだろう。キリストが十字架にかけられるさまを描いた「バラバ」では、キリストが死んだ瞬間にエルサレムの町は暗闇におおわれ、雷が鳴る。その光と闇の描写はまことに圧倒的で、映画のスペクタクル・シーンを連想させる。「悪魔の悲しみ」にもそのような場面がいくつか出てくる。とりわけ物語中盤の結婚式の場面と、最後の氷に閉ざされた海の場面はマリー・コレーリの筆がうなりをあげているような迫力である。こんな書き方ができる作家は十九世紀世紀末の頃、彼女だけだったと思う。日本語に訳されているコレーリの作品が「白髪鬼」だけというのは残念なことだ。これはどろどろした復讐の情念に焦点があって、日本人の嗜好には合うのかもしれないが、コレーリのSF的な、スケールの大きい側面をあらわしてはいない。

 しかしコレーリがスペクタクル描写において異彩を放っていたことは事実だが、十九世紀はスペクタキュラーなものを常に追求した時代でもあった。たとえば演劇を取ってみても、十九世紀を通してどんどん音や光の舞台効果に工夫が重ねられていったし、一八五一年の万国博覧会は国威発揚としてのスペクタクルで……。いや、こんなことは文化史や歴史を調べてもらえばいくらでも書いてあることなので、私がここに書くまでもないだろう。ただ、「悪魔の悲しみ」が出た一八九五年は、リュミエール兄弟がはじめて工場労働者の様子を映画に撮影した年でもあることは、非常に暗示的な気がする。コレーリのスペクタクル・シーンはひどく映画的だから。要するに視覚文化は十九世紀にめざましい発展を遂げたし、コレーリのスペクタクル・シーンはそうした当時の視覚文化から確実に影響を受けていたのである。ちなみにコレーリはピアノ演奏にたけ、ワグナーを評価していたらしい。

 コレーリの特徴の第二は、スピリチュアリズムとの関係である。しかし記事が長くなったので、これは来週書くことにする。

Marie Corelli blue plaque -Church St, Stratford upon Avon, Warwickshire, England-30Sept2011.jpg
By summonedbyfells - MARIE CORELLI - STRATFORD-UPON-AVON Uploaded by snowmanradio, CC BY 2.0, Link

Saturday, May 20, 2017

「鈴の音」 レオポルド・デイヴィス・ルイス作

The Bells (1871) by Leopold Davis Lewis (1828-1890)

 ヴィクトリア朝時代は心霊現象にずいぶん興味を示した時代でもある。一八三〇年代頃から催眠術(メスメリズム)やポルターガイスト現象、降霊会といったものがはやりだし、一般の人のみならず、コナン・ドイルやチャールズ・ディケンズのような著名人、さらには科学者も関心を示した。十九世紀も後半に入ると、心霊的なものを体系化する動きが出てくる。たとえばブラヴァツキー夫人が「あかされたイシス」をあらわして、神智学教会を創設したり、彼女の影響を受けたアニー・ベサントなどが活躍しはじめる。心霊的なものへの興味は、二十世紀に入っても二三十年は続く。だからヴィクトリア朝時代にはずいぶんたくさんの幽霊物語が書かれたし、オカルト現象や催眠術をあつかった作品が書かれている。この前ここで紹介した「トリルビー」などもその一例だ。「鈴の音」では催眠術が登場する。

 アルザスの小さな町にマシアスという市長がいた。劇は市長の娘の結婚式という、おめでたい場面からはじまる。ちょうど冬で外は嵐。しかし町の人たちは祝婚の酒を飲んで酔っ払っている。彼らのうかれた会話の最中に十五年前のある事件の話がもちあがる。それは旅のユダヤ人が馬車でこの町を通りかかり、マシアスの宿で一杯飲んでいったのだが、ふたたび旅に出発したあとまもなく殺害されたという事件である。この事件は下手人不明で未解決のままだった。

 さてマシアスは娘の結婚式の最中に幻聴に襲われる。殺されたユダヤ人の馬車の鈴の音がどこからともなく聞こえてくるのだ。彼はそのために自分の部屋に閉じこもってしまう。

 もうおわかりと思うが、十五年前にユダヤ人を殺して金を奪ったのは、今は市長になっているマシアスなのである。その頃彼は借金に苦しんでいて、つい出来心を起こしてしまったのだ。しかしそれはずっと彼の良心を苦しめ、娘の結婚式という父親としての彼にとって最良の日に彼を狂気に追いやる。

マシアスを演じるヘンリー・アービング
一人になったマシアスは幻覚の中で裁判にかけられる。彼は目撃者がいないのだから誰も彼を有罪にはできないと言い張るが、そこで裁判官は催眠術者を呼ぶのである。そして彼に罪を告白させる。結局彼は幻の中の裁判で絞首刑に処せられることになる。

 一方、マシアスがいつまでも部屋から出てこないので異常を感じた周囲の人々は、ドアを蹴破って中に入る。すると首のまわりから見えない絞首刑の縄をはずそうとしているマシアスを見出す。彼はそのまま息絶える。

 これはずいぶん有名なメロドラマらしいのだが、正直な話、わたしはあまり感銘を受けなかった。Wikipedia でこの劇を扱った項目があるのでそれを読んでみたが、どうやら市長を演じたヘンリー・アービングの演技が素晴らしく、それでこの芝居は大当たりをとったらしい。しかしアービングの演技力だけで有名になったのではないだろう。作品そのものにも観衆を圧倒するものがあったに違いない。メロドラマの歴史についてもうちょっと資料を読んでからもう一度考え直したい。

Sunday, May 14, 2017

「工場労働者」 ジョン・ウオーカー作 (その二)

The Factory Lad (1832) by John Walker

 かくして首になった工場労働者たちは酒場に集まり、工場主への復讐を計画する。そのとき首謀者となるのは、彼らの一人ではなく、密猟者としてその地域からのけ者扱いをされているラシュトンという男である。彼を首謀者に設定したあたりに、わたしはこの作者の知性を感じる。彼ははじめて舞台にあらわれたとき、こんなことを言う。
ラシュトン
  「(罠を仕掛けながら)大物がとれるぞ! ははっ! 狩猟法? 金持ちの暴君は、この土地を飛んだり走ったりする獣をみんな捕まえようとするが、貧乏人にはそうする権利がないみたいだな。おれは法律なんか屁とも思わん。自由と体力と活力があるかぎり、いちばんの金持ちとおなじように生きてやる」
ラシュトンは「私有」というものに疑問を持ち、それにあらがって生きている。彼の言葉から、「私有財産は横領と略奪」という、よくある観念へは一歩の距離しかないように思える。密猟者というのはたいてい教養のない田舎者なのだが、ラシュトンは違う。彼はもとともは真面目な労働者で家族もあったのだが、どうやら資本家の横暴にあって妻も子供もなくし、今は兎などを密猟して生活を立てているらしい。彼は資本家の裏の側面を知りつくしており、それゆえ資本家に怨念を抱いているだけでなく、鋭い洞察力を見せる。彼は慈善なるものの偽善性を見抜き、ずるがしこい判事の姿(その名もバイアス判事、つまりえこひいき判事である)を通して、法の不公正さを直観している。こういう人物だからこそ、労働者たちを指導する立場に立てるのだ。

 さてラシュトンは工場労働者たちの話を聞いて義憤を覚え、工場に放火する計画を立てる。ところが工場主のほうも労働者の報復を警戒していたので、彼らは警察に捕まり、裁判にかけられる。この裁判の場面でもラシュトンの舌鋒鋭く、法律と階級の問題をえぐり出す。
判事バイアス
  「法は金持ちにも貧乏人にも公平だ」
ラシュトン
  「そうかな? それじゃどうして貧乏人はしょっちゅう牢屋に入れられるのに、金持ちは放免されるんだ?」
バイアス
  「ええい、こんな話はもうやめだ」
今のわれわれにしてみれば、ラシュトンの指摘は当たり前なことに過ぎない。しかしこれが書かれたのが十九世紀前半だったことを忘れてはならない。

 この裁判の最中に、労働者のひとりの妻(実はラシュトンの死んだ妻の妹)が半狂乱になって飛びこんでくる。そして工場主の足にとりすがり、主人を許してほしい、これから一生あなたの奴隷になるからと嘆願する。工場主は彼女をはねのけ、「わたしに触るな。法律が正しい裁きをつけてくれる!」と言う。それを見たラシュトンは「慈悲を請う、無力な女をはね飛ばすのか……死ね、暴君め!」と工場主にピストルをぶっぱなす。工場主が倒れ、ラシュトンは舞台中央でヒステリカルに笑い、兵士たちがマスケット銃を彼にむけるところで幕は下りる。

 壮絶なドラマで、なるほどしばしば議論の対象になるのももっともだと思った。問題作である。

 調べて見ると工場に材を取った劇作品は少ないながらもいくつかあるようだ。G.F.テイラーの「ストライキ」(一八三八年)は工場主の立場からストライキをする労働者を非難し、J.T.ヘインズの「工場従業員」(一八四〇年)は酷薄な工場主を描いている。ディオン・ブーシコーはギャスケル夫人の「メアリー・バートン」を脚色した「長いストライキ」(一八六六年)という作品を出しているし、トム・テイラーは「指物師の妻」(一八七三年)のなかで十八世紀の機械の破壊や群衆暴力を批判的に描き出している。ほかにもジョージ・フェンの「親方」(一八八六年)とかアーサー・モスの「労働者の敵」(一九〇〇年頃)といった作品があるようだ。手に入れば是非とも読んでみたい。わたしはずっとメロドラマと、物語の外部性について考えているけれど、経済的な要素が物語の外部に出ていくきっかけになる場合があるのではないか。逆に内部に閉じこもっている物語は、内部が成立している経済的基盤を隠蔽しているのではないか。工場とか階級を扱ったメロドラマは少ないらしいが、しかしここにこそメロドラマについて考えるための重要な鍵がありそうな気がする。

Saturday, May 6, 2017

「工場労働者」 ジョン・ウオーカー作 (その一)

The Factory Lad (1832) by John Walker

 読み終わったとき、頭を棍棒でなぐられたような気がした。内容にも驚かされたが、メロドラマというジャンルの容易に規定できない深さを痛感させられた。

 作者のことはよくわからない。一八二五年から一八四三年にかけて小劇場のためにメロドラマや喜劇を書いていたようだが、事実上、無名の作家である。本作は一八三二年にサレー劇場で六回ほど上演されたらしい。六回だから、当時の評判は悪かったのだろう。しかしそれはこの作品がはるかに時代を先んじていたということの名誉あるしるしにこそなれ、退屈な駄作という評価を下す根拠にはならない。

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By Chris Sunde; original uploader was Christopher Sunde at en.wikipedia. - Original unknown, this version from http://www.learnhistory.org.uk/cpp/luddites.htm (archive), Public Domain, Link

 「工場労働者」は十九世紀前半のラッダイト運動を描いている点で、メロドラマとしてはずいぶん毛色が変わっているが、さらに悲劇的・暴力的な終わり方をしているところも、それまでのメロドラマのコンベンションをおおきくはずれている。それまでのメロドラマはどんなに登場人物のあいだにある確執を描いていても笑いの要素を含み、最後はめでたしめでたしで終わるものだったのだ。ところが「工場労働者」は工場主と労働者のあいだの緊張関係がすこしも緩むことなく最後まで継続し、爆発する物語である。この贅肉のない緊迫感には近代的な芸術性すら感じられる。

 話の筋を紹介しよう。ランカシャーのとある工場には本編の主要人物となる六人の貧しい労働者が働いている。ここの工場主はつい先日代替わりをし、彼らは新しい工場主(先代の工場主の息子)からはじめての給金をもらおうとしている。労働者たちは先代の工場主がいい人だったので、息子もきっと優しいだろうと思っていたが、彼は労働者にクビを宣告するのだった。
工場主ウエストウッド  時代は変わった。 
労働者アレン  まったくで。貧乏人は仕事の量が増え、給金のほうは少なくなりました。 
ウエストウッド  製品の需要が減って、社長の手に入る金が減ったからだ。 
アレン  需要が減った! 
ウエストウッド  聞きたまえ。需要が減ったのでなければ、製品の市場価格が落ちたのだ。そこで要件に入るが、いろいろなものが時と共に変化するように、人間も変化しなければならない。隣人と競争していくには……つまり彼らとおなじように儲けようと思ったら……要するに、私は機械を蒸気で動かすことに決めたのだ。 
労働者アレン、ハットフィールド、ウィルソン  蒸気!
新技術を導入し、労働力(労働に掛かるコスト)を削減しようというわけである。これが一八一一年ごろからはじまるラッダイト運動のもとになった。さて、工場主の新方針に労働者たちは必死に反論する。
アレン  しかしあなたのお父さまは昔のやり方でたくさんの財産を残されたと聞いています。われわれが勤勉に働いて利益をもたらしてくれると、いつもご満足でした。陽気なお方でしたが、他人をほがらかにする方でもあった。お父さまは、大勢の真面目な労働者が心置きなく日曜日の夕ごはんにありつけ、自分の稼ぎで子供たちをまともに育てることができることくらい喜ばしいことはないとおっしゃるのを、しばしば耳にしました。
工場主ウエストウッド  おやじに神の祝福あれ! 
労働者ハットフィールド  祝福はあったと思いますよ。あの方は仲間の人間を思いやるイギリス人でしたから。あの方は狩猟用の犬や馬を養うためのお金をあまそうと、何年も忠実につかえてきた貧乏人を追い出すようなお方じゃなかった。 
ウエストウッド  君の言うことはよくわかる。感傷は聞こえはいいが、実際の場面じゃ通用しない。きみがほかの人の代表のようだから、きみの流儀に従って返事をしよう。べつに判事をする必要はないんだがね。きみはものを買うとき、いちばん安い店で買おうとするだろう。上着を買うのに、ほかのところの二倍の値段で売っているところへ行くかね? 六ペンス高いのだっていやじゃないかね? 自分の庭には好きなものを植え、好きなように耕すんじゃないかね? 
ハットフィールド  そりゃ、自分の庭ですからね! 
ウエストウッド  その通りだ! それならわたしが自分の所有物に好きなことをしたって、ちっともおかしくないだろう?
長々と引用したけれど、ここには資本家が自己を正当化する際に用いる原始的な論理が見られることが判るだろう。

Wednesday, May 3, 2017

「トリルビー」 ポール・ポッター作

Trilby (adapted to stage by Paul Potter)

 「トリルビー」は一八九四年にハーパーズ・マンスリー誌に連載されたジョージ・ドゥ・モーリアの小説である。トリルビーという画家のモデルをしている魅力的な若い女が、スヴェンガリという悪者に催眠術をかけられてかどわかされ、彼の金儲けのために利用されるという物語である。発表当時、たいへんな人気となり、何度かドラマ化もされている。今回読んだのはドラマ化されたシナリオのほうである。
小説の挿絵から

トリルビーと聞くと、トリルビー・ハットを思い出す人がいるかもしれない。これは舞台化されたときに出演者がかぶっていた帽子がこの手の、つばの狭い帽子だったのである。

 またスヴェンガリという名前に聞き覚えのある人も大勢いると思う。催眠術で意のままに他人を操ることのできるこのユダヤ人は、その魔術的・神秘的な力が人々の心に反ユダヤ主義的な怖れをかきたてた。

 「トリルビー」は英語の表現にも新しいものをつけ加えた。それは in the altogether という表現で、「ヌードで」というような意味である。トリルビーは画家のためにポーズを取るときヌードになるのだが、そこで使われている。

 話自体は単純である。トリルビーはボヘミアン的な生活をしている画家たちのためにモデルをしている。活発な女の子でみんなに好かれている。しかし歌はへたくそで、とてつもない音痴である。

 スヴェンガリは音楽家で催眠術を心得ている。彼はトリルビーの声がよいこと、音痴ではあるが、催眠術によってすばらしい歌い手になることを知っている。彼はトリルビーに催眠術をかけて、その恋人との仲を引き裂き、彼女を妻にしてヨーロッパ中を公演旅行してまわる。

 ところがスヴェンガリとトリルビーがパリで公演をしている最中に、スヴェンガリは心臓発作を起こして結局死んでしまう。とたんに催眠術は切れ、トリルビーはもとの音痴に戻ってしまう。しかもスヴェンガリとヨーロッパを旅行していた期間のことも忘れてしまうのだ。

 彼女は恋人と再会し、二人は結婚することになる。ところが……彼女はふとしたことからスヴェンガリの写真を見つめ、またもや彼の催眠術にかかってしまうのである。この劇の最後では彼女はそのまま昏倒してしまうのだろうか。それとも死んでしまうのだろうか。ある女性が彼女の様子を見て、「大変!」と言って大騒ぎする場面で芝居は終わっている。

 スヴェンガリの不気味さももちろん印象的だが、パリの芸術家たちのボヘミアン的生活も見事に描かれていて感心した。画家たちのアパートの向かいに建つ店舗の売り子たちが、窓から裸のモデルが見えるといって苦情を言う場面など、さもありなんと思わせる真実らしさがあるし、それに対する芸術家たちの反論も若い芸術家らしい自負の念に満ちている。聖職者が彼らのアパートを訪れ、スケッチブックを熱心に見入っている場面などはじつに愉快で、こうした明るさ、活気、ユーモアがあるので、スヴェンガリの底知れぬ異様な力が対照的に強調されるのだろう。

 ジョージ・オーウェルはスヴェンガリの反ユダヤ主義的描写を批判しているが、わたしは別の意味でスヴェンガリの能力に興味を抱いた。トリルビーは、スヴェンガリに催眠術をかけられ歌の訓練をさせられる前は、音痴だったのである。彼女の声の質は天下に並ぶ者がない。しかし音を認識したり、正しい音を発声することができないのだ。スヴェンガリはこの欠損を補うことによって、洗濯女をしたりモデルをしていた彼女を、ヨーロッパの皇族も注目するような歌姫に変えたのである。スヴェンガリは彼女と結婚するが、彼女を愛してはいない。正しく歌えなければ彼女に暴力をふるうし、金儲けの道具として利用しているだけであることは明らかだ。しかしそれでもスヴェンガリがこの欠損を補うという点は面白い。欠点を補われたトリルビーはどうなるのか。スヴェンガリの助手であるゲッコがこんなことを言う。
二人のトリルビーがいるんだ。一人はみんなも知っているトリルビー、音痴のトリルビーだよ。それはおれたちが愛しているトリルビーだ。ああ、そうとも、このゲッコさまだって彼女をただ一人の恋人、ただ一人の妹、ただ一人の子供みたいに愛しているんだ。ところが魔術師のスヴェンガリがひとたび睨み、手をひらひらさせると、彼女はべつのトリルビーになる。彼女はただの歌う機械になっちまう。スヴェンガリのかわりに歌う、無意識の声になっちまうのさ。トリルビーが歌っているとき、おれたちのトリルビーはいなくなるんだ。おれたちのトリルビーはぐっすり眠っている。死んでいるんだ。
Svengali (1931) 2.jpgトリルビーは欠点を補われて、各国の皇族たちも注目するヨーロッパ一の歌姫になるが、同時にそれは、死の状態に置かれてしまうことなのである。代補の論理という点から反ユダヤ主義(あるいはレイシズム)を捉え直すことができるだろうか。


By Screenland Magazine - Screenland page 59-at right, パブリック・ドメイン, Link