Saturday, May 27, 2017

近況報告 (その一)

昨年からマリー・コレーリの The Sorrows of Satan の翻訳をしている。細かい活字で五百ページほどもあるので作業がなかなかはかどらなかったのだが、ようやく全体を訳し終わり、今は推敲の段階に入っている。翻訳作業の中で、実は、これがいちばん大変なのだ(私にとっては)。今までも何度も訳文を読み返して手を入れているのだが、それでも不満が次から次へと出てくる。それゆえまた原文を読み返し、訳文を改め、ときにはまるまる一章、訳し直したりする。推敲の課程は、はっきりいって絶望との戦いである。自分にはまるで文章の才能がないことを自覚させられ、それでも作業をつづけなければならない。気が滅入って、三行ほど読んで推敲をやめることもある。しばらく別のことをして、気を取り直し、国語辞書や類語辞典や自分で作った表現集などをひっくり返して、文章を書き改め、先に進む。こういうことを全編にわたって数十回繰り返すのである。短い作品なら百回はやるだろう。長い作品だと二十回くらいだろうか。


 The Curious Incident of the Dog in the Night-Time の作者マーク・ハドンが、あれはガーディアン紙だったろうか、自分の小説の書き方について記事を出していた。彼は書き上げてから延々と推敲をするのだそうである。そして奇跡が起きるのを待つのだそうだ。わたしも延々と推敲をするが、奇跡など起きたためしがない。もちろん創作と翻訳じゃ、ぜんぜん話がちがうのだろうし、そもそもハドンの才能と私の才能じゃ比較にはならないのだけれけど。しかし苦しんで推敲すれば非才の私の文章でもちょっとはよくなる(と思っている)。それを繰り返し、もうこれ以上はよくしようにも、自分の才能に限界があるとあきらめがついたとき、推敲をやめることにしている。時間をおいてまた推敲すれば訂正したい箇所が出てくることは事実だが、それをやっていたらいつまでも終わらないことになるから、その時その時の自分の限界をもって作業を終了することにしている。絶望と自己嫌悪にはじまり、奇妙なあきらめの境地で終わる、どこにも楽しさなど存在しない作業段階なのである。奇跡が起きてくれたらどんなにうれしいだろう。

 マリー・コレーリについてはこのブログで何度か作品をレビューした。彼女の第一印象を一言で言えば、スペクタクル描写がすばらしいということだろう。キリストが十字架にかけられるさまを描いた「バラバ」では、キリストが死んだ瞬間にエルサレムの町は暗闇におおわれ、雷が鳴る。その光と闇の描写はまことに圧倒的で、映画のスペクタクル・シーンを連想させる。「悪魔の悲しみ」にもそのような場面がいくつか出てくる。とりわけ物語中盤の結婚式の場面と、最後の氷に閉ざされた海の場面はマリー・コレーリの筆がうなりをあげているような迫力である。こんな書き方ができる作家は十九世紀世紀末の頃、彼女だけだったと思う。日本語に訳されているコレーリの作品が「白髪鬼」だけというのは残念なことだ。これはどろどろした復讐の情念に焦点があって、日本人の嗜好には合うのかもしれないが、コレーリのSF的な、スケールの大きい側面をあらわしてはいない。

 しかしコレーリがスペクタクル描写において異彩を放っていたことは事実だが、十九世紀はスペクタキュラーなものを常に追求した時代でもあった。たとえば演劇を取ってみても、十九世紀を通してどんどん音や光の舞台効果に工夫が重ねられていったし、一八五一年の万国博覧会は国威発揚としてのスペクタクルで……。いや、こんなことは文化史や歴史を調べてもらえばいくらでも書いてあることなので、私がここに書くまでもないだろう。ただ、「悪魔の悲しみ」が出た一八九五年は、リュミエール兄弟がはじめて工場労働者の様子を映画に撮影した年でもあることは、非常に暗示的な気がする。コレーリのスペクタクル・シーンはひどく映画的だから。要するに視覚文化は十九世紀にめざましい発展を遂げたし、コレーリのスペクタクル・シーンはそうした当時の視覚文化から確実に影響を受けていたのである。ちなみにコレーリはピアノ演奏にたけ、ワグナーを評価していたらしい。

 コレーリの特徴の第二は、スピリチュアリズムとの関係である。しかし記事が長くなったので、これは来週書くことにする。

Marie Corelli blue plaque -Church St, Stratford upon Avon, Warwickshire, England-30Sept2011.jpg
By summonedbyfells - MARIE CORELLI - STRATFORD-UPON-AVON Uploaded by snowmanradio, CC BY 2.0, Link