Saturday, May 6, 2017

「工場労働者」 ジョン・ウオーカー作 (その一)

The Factory Lad (1832) by John Walker

 読み終わったとき、頭を棍棒でなぐられたような気がした。内容にも驚かされたが、メロドラマというジャンルの容易に規定できない深さを痛感させられた。

 作者のことはよくわからない。一八二五年から一八四三年にかけて小劇場のためにメロドラマや喜劇を書いていたようだが、事実上、無名の作家である。本作は一八三二年にサレー劇場で六回ほど上演されたらしい。六回だから、当時の評判は悪かったのだろう。しかしそれはこの作品がはるかに時代を先んじていたということの名誉あるしるしにこそなれ、退屈な駄作という評価を下す根拠にはならない。

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By Chris Sunde; original uploader was Christopher Sunde at en.wikipedia. - Original unknown, this version from http://www.learnhistory.org.uk/cpp/luddites.htm (archive), Public Domain, Link

 「工場労働者」は十九世紀前半のラッダイト運動を描いている点で、メロドラマとしてはずいぶん毛色が変わっているが、さらに悲劇的・暴力的な終わり方をしているところも、それまでのメロドラマのコンベンションをおおきくはずれている。それまでのメロドラマはどんなに登場人物のあいだにある確執を描いていても笑いの要素を含み、最後はめでたしめでたしで終わるものだったのだ。ところが「工場労働者」は工場主と労働者のあいだの緊張関係がすこしも緩むことなく最後まで継続し、爆発する物語である。この贅肉のない緊迫感には近代的な芸術性すら感じられる。

 話の筋を紹介しよう。ランカシャーのとある工場には本編の主要人物となる六人の貧しい労働者が働いている。ここの工場主はつい先日代替わりをし、彼らは新しい工場主(先代の工場主の息子)からはじめての給金をもらおうとしている。労働者たちは先代の工場主がいい人だったので、息子もきっと優しいだろうと思っていたが、彼は労働者にクビを宣告するのだった。
工場主ウエストウッド  時代は変わった。 
労働者アレン  まったくで。貧乏人は仕事の量が増え、給金のほうは少なくなりました。 
ウエストウッド  製品の需要が減って、社長の手に入る金が減ったからだ。 
アレン  需要が減った! 
ウエストウッド  聞きたまえ。需要が減ったのでなければ、製品の市場価格が落ちたのだ。そこで要件に入るが、いろいろなものが時と共に変化するように、人間も変化しなければならない。隣人と競争していくには……つまり彼らとおなじように儲けようと思ったら……要するに、私は機械を蒸気で動かすことに決めたのだ。 
労働者アレン、ハットフィールド、ウィルソン  蒸気!
新技術を導入し、労働力(労働に掛かるコスト)を削減しようというわけである。これが一八一一年ごろからはじまるラッダイト運動のもとになった。さて、工場主の新方針に労働者たちは必死に反論する。
アレン  しかしあなたのお父さまは昔のやり方でたくさんの財産を残されたと聞いています。われわれが勤勉に働いて利益をもたらしてくれると、いつもご満足でした。陽気なお方でしたが、他人をほがらかにする方でもあった。お父さまは、大勢の真面目な労働者が心置きなく日曜日の夕ごはんにありつけ、自分の稼ぎで子供たちをまともに育てることができることくらい喜ばしいことはないとおっしゃるのを、しばしば耳にしました。
工場主ウエストウッド  おやじに神の祝福あれ! 
労働者ハットフィールド  祝福はあったと思いますよ。あの方は仲間の人間を思いやるイギリス人でしたから。あの方は狩猟用の犬や馬を養うためのお金をあまそうと、何年も忠実につかえてきた貧乏人を追い出すようなお方じゃなかった。 
ウエストウッド  君の言うことはよくわかる。感傷は聞こえはいいが、実際の場面じゃ通用しない。きみがほかの人の代表のようだから、きみの流儀に従って返事をしよう。べつに判事をする必要はないんだがね。きみはものを買うとき、いちばん安い店で買おうとするだろう。上着を買うのに、ほかのところの二倍の値段で売っているところへ行くかね? 六ペンス高いのだっていやじゃないかね? 自分の庭には好きなものを植え、好きなように耕すんじゃないかね? 
ハットフィールド  そりゃ、自分の庭ですからね! 
ウエストウッド  その通りだ! それならわたしが自分の所有物に好きなことをしたって、ちっともおかしくないだろう?
長々と引用したけれど、ここには資本家が自己を正当化する際に用いる原始的な論理が見られることが判るだろう。