Tuesday, May 30, 2017

近況報告(その二)

 十九世紀は合理性とか科学性とか物質主義といったものがはびこっていった反面、スピリチュアリズムという精神的なものへの関心も高まっていった。The Ashgate Research Companion To Spiritualism And The Occult (2012) の中でJ.ジェフリー・フランクリンという人が簡潔にスピリチュアリズムの歴史をまとめているのでそれをここに引き写すと、まず十九世紀前半(三〇年代)に、フランツ・アントン・メスメルの「動物磁気」を利用した治療法に対する関心が呼び起こされた。ちょうどイギリス国教会の力が衰えていった時期である。メスメルはヒステリー患者の身体に磁石をつけて、鉄を含む飲み物を飲ませ、体内に人工的な流れをつくり出して治療を試みたりした。彼の考え方や治療法からのちに「メスメリズム」(催眠術)が生み出されることになる。「動物磁気」に対する反応は賛否両論あった。フランクリンはこの論争を四つの陣営に分けて考えている。一つはジョン・エリオットソンのようにメスメルの言う「磁気」を自然に基づくものと考え、終極的には科学によって説明されるものとする意見。第二はそれに反発して、動物磁気は科学的ではないとする意見。第三は動物磁気は心霊現象で、科学的に考えようとする第一の意見は近視眼的だと考える立場。第四は動物磁気は、正統的なキリスト教の考え方からははずれている異端的立場である、あるいは逆に動物磁気は物質的すぎて心霊現象とはいえないとする立場である。

 こうしたメスメリズムの騒動のあとに来たのが、一八四〇年代にニュー・イングランドで発生したスピリチュアル運動で、これはイギリスと大陸を席捲した。このあたりのことはコリン・ウィルソンなどが面白い本を出しているので説明はそちらに譲るが、とにかくこれがきっかけとなってヴィクトリア朝の人々は降霊会を開くようになり、いかがわしい霊媒どもが跋扈するようになった。しかしこの動きは単に新奇なものへの興味だけから起きたわけではない。当時はびこりつつあった物質主義へのアンチテーゼという側面を見落としてはならないだろう。この「物質主義」という言葉は当時、無神論や科学主義、拝金主義(mammonism)などを意味する。人間の魂を否定するものとして、この時代の最大の悪者と見なされていたものである。「悪魔の悲しみ」においても無神論、科学主義、拝金主義は徹底的に批判されている。スピリチュアリズムを擁護する人々は、「物質主義」を否定する足がかりとして心霊現象を利用していたのである。

Hours with the ghosts, or, Nineteenth century witchcraft - illustrated investigations into the phenomena of spiritualism and theosophy (1897) (14755394226).jpg
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 さらに一八六〇年代に入るとメスメリズム、スピリチュアリズムと続いてきた運動は世紀末を特徴付ける、オカルト的宗教運動へと変身していく。その特徴をあげると、たとえば神智学協会の設立に見られるように運動が組織化されたものになり、その思想の由来や原理が定められ、さまざまなオカルト的教義が混淆されたものとなる。オカルト的な教義の混淆とは、たとえばエジプトの多神教とかカバラとかプラト二ズムとか占星術とかグノーシス主義とかヒンデゥー教とか仏教の教えがいろいろと織り込まれているということである。

 ヴィクトリア朝のスピリチュアリズムの歴史をざっと振り返るとこんな具合になるのだが、おおざっぱでもそれを知っておくことは「悪魔の悲しみ」を理解する上で非常に役立つ。この作品のなかではキリスト教が支持され、神の存在が主張されているが、同時に一風変わった悪魔の位置づけが行われ、輪廻転生思想が混じり込んでいる。この混淆性はまさしく一八六〇年代からの宗教運動の影響を受けたものなのである。

 フランクリンが指摘していることのなかでもう一つなるほどと感心したのは、キリスト教の力が弱まったから、それを補う意味でスピリチュアリズムが利用されたという点である。十九世紀末と言えば、「悪魔の悲しみ」にも出てくるけれど、「神は死んだ」という標語がはやった時期である。信仰の力に疑問符がつけられた時代なのである。凋落したキリスト教をスピリチュアリズムによって再活性化しようとする試みが、ブルワー=リットンやコレーリの作品に見られるのではないか、とフランクリンは論じている。彼はスピリチュアリズムに注目してブルワー=リットン、ハガード(幻想的な冒険小説「彼女」の作者)、コレーリという系譜を見出しているのだが、これは今まであまり指摘されたことのないヴィクトリア朝文学の特色ではないだろうか。