Friday, January 20, 2017

「さむけ」 ロス・マクドナルド作

Chill (1963) by Ross Macdonald (1915-1983)

 「さむけ」はずいぶん昔に原作を読んだけれど、中身はもうすっからかんに忘れた。今回偶然、図書館で小笠原豊樹の翻訳を目にしたので、借りて再読することにした。すると気になる箇所が二箇所あった。
 まずはアーチャーが事件の依頼人の妻ドリーに会う直前の場面だ。場所は大学のキャンパス。二人の学生がアキレスと亀のパラドクスについて話している。
 女子学生は青年にしきりとアキレスと亀のことを説明していた。アキレスは亀を追うのだが、ゼノンによれば決して亀に追いつくことができない。両者のあいだの空間は、無限の部分に分割することができる。したがって、アキレスがその空間を横切るには無限の時間を要することになる。そのあいだに亀はどこかへ逃げてしまう。(以下すべて小笠原豊樹の訳を引用)
この伏線的挿話の数ページ後にアーチャーとドロシーの距離関係について次のような叙述がある。
 いささか阿呆くさいと思いながら、わたしは若い女(註 ドリーのことだ)のあとを追った。こんな立場に立たされて、思い出すのはジュニア・ハイスクール時代、学校から帰るときに、わたしがよくあとをつけた女の子のことである。わたしはどうしてもその子に、教科書を持ってあげようと切り出す勇気がなかった。今ではもう名前も思い出せぬその到達不能の女の子が、なんとはなしにドリーとだぶってくるようなのである。
ここには注意すべきことが二つある。ジュニア・ハイスクール時代に思いをかけていた女の子とは、すなわちアーチャーの欲望の対象だが、ここでは依頼人の妻がその位置に入りこんでいる。いや、妻がアーチャーの欲望の対象の位置に入りこんだというより、アーチャーのほうが依頼人の位置に立って彼の妻を見ているということだ。

 第二に、「わたし」と欲望の対象とのあいだには無限の距離がある。「わたし」はけっして欲望の対象に追いつくことはない。これはラカンが$◇aという図式であらわした関係である。

 第二に彼がヘレンの家に誘われてついていった場面に注目しよう。
 磨かれたの床の上には、ほとんど家具らしきものがなかった。広い部屋のなかをわたしは歩きまわり、一方のガラスの壁にもたれて外を眺めた。一羽の山鳩が玉虫色の頸を折って、中庭に横たわっていた。ガラス壁の外側に翼をひろげた鳥のかたちが微かについているところから判断すれば、どうやらその鳩はガラスに衝突して落ちたらしい。
この叙述から数ページ後、アーチャーはヘレンに性的な誘惑を受け、身体をすりよせられるのだが、彼は口実をかまえて彼女を拒否する。すると
 女はいきなりわたしから離れた。その離れ方があまり乱暴だったので、鳥のようにガラスの壁に衝突した。
ヘレンは性的な誘惑をしかけてくるが、アーチャーにとってドリーのような欲望の対象とはなりえていない。彼はヘレンの manipulative な策略にはまるまいと、身をひるがえす。その瞬間、鳩がガラス窓に衝突して死ぬように、ヘレンもなんらかの象徴的な死をとげるのである。ここでのアーチャーはファンタジー空間を突き抜けている。欲望の対象がもはや欲望の対象として機能しなくなっている。

 以上の二場面はこの作品を読解する際に重要な手がかりになりそうだ。この作品は時間をおいてまた読み返す予定でいる。