Thursday, November 24, 2016

「バッカスの宴」 アーネスト・ジョージ・ヘナム作

The Feast of Bacchus (1907) by Ernest George Henham (1870-1946?)

 少し以前に読んだ本だけれど、遅ればせながら書評しておこう。非常に面白い幻想小説、あるいは怪奇小説である。(作者の名前は上に記した通りだが、ジョン・トレヴェナというペンネームを使うこともある。)

イギリスのダートムアにあるソーランドという村にはストラースという幽霊屋敷があった。この屋敷の所有者はアメリカに住んでいて、建物は長らく無人のまま放置されていた。いや、無人ではあるが、奇怪な霊がこの屋敷には取り憑いていた。この屋敷のなかには喜劇を示す笑った顔の仮面と、悲劇を示す泣いた顔の仮面が飾られていたのだが、その仮面には霊が宿っていたのである。

 さて、アメリカに住んでいた所有者がソーランドに住居を移し、屋敷に住みはじめるようになってからこの村の人々に異変が生じはじめる。どういう異変か。屋敷に来る人々はみな霊の力によって性格が一変し、踊りはじめたり、昔の言葉で会話を交わしたり、暴力的になったり、異常な振る舞いをするようになるのだ。ところが屋敷を出ると、彼らは記憶を失い、自分が屋敷の中で何をしたのか、さっぱり覚えていない。

 そして決定的な事件が起きる。アメリカ人の所有者は、屋敷があまりに古ぼけているので取り壊そうと考えるのだが……なんと彼はある日絞殺死体となって発見されるのである。取り壊そうなどと考えたために、屋敷の霊の怒りを買ったのだ。その後、彼の跡継ぎがこの屋敷に住みはじめるのだが、彼もやはり屋敷に取り付く奇怪な霊の影響を受けて気が触れていく。

 この作品にはいろいろな特徴がある。そのいくつかをメモがわりに書きつけておく。

まず文体。非常に上質の文体で、作者が生前、当時を代表する作家の一人とみなされたのもうなずける。美文ともいえる優雅さがあって、こんな文章でいわゆる haunted house ものを書いた人はほかにいないだろう。読んでいて背筋がぞくぞくするということはない。しかし様式化された不気味さとでもいうべきもの、たとえばスタンリー・キューブリックが恐怖や暴力を映像美というか、ある種の様式をもって描いた作品に感じるような不気味さを、私はこの作品に感じた。

 しかし様式美に包まれてはいるものの、仮面の来歴が明らかにされ、人間の皮膚を使ってつくられたことが語られる部分は、その様式美をつきぬける怖ろしさを感じた。

 第二に、全体が古代ギリシア劇のように五幕構成になっている。こういう形式への関心・執着はヘナムがモダニストとしての資質を持っていたことの証しではないだろうか。文体の膜を通して出来事を見ているという印象もジョイスなどとよく似ている。

 第三に、この作品は社会批評的な要素を多分に含んでいる。株式仲買人と結婚して夫も子供も無視しながら享楽的な生活を送るモード、当時「新しい女」といわれた急進的な思想を持つフローラ、あるいは教区の人々にたいする自分の役割を放り投げ、趣味に没頭するベリー牧師などが登場し、これらの人々はみな相応の「処罰」を受けることになる。ストラース邸はただそこに入ってくる人々に異常な振る舞いをさせるだけではない。なにやら教育的なところもある。
 フローラは独創性を求めていた。彼女はドラマの法則からはずれた行為によって自分を目立たせようとしていた。ストラース邸の役割は、彼女の目を開かせ、自明の事実を彼女に教えることである。すなわち彼女はごくありきたりの女であるということを。独創性は普通でない行為をなすことではない。普通のことを普通ではないやり方でなすことなのである。
フローラだけではない。モードもその享楽的な態度を改め、子供にも夫にも誠実な女へと生まれ変わるのである。また教区の人々をほったらかしにして自分の趣味にふけるベリー牧師は……。いや、これはこれから読む人の楽しみのためにとっておこう。

 第四に、この小説には科学万能が唱えられた当時の社会風潮にたいする反発がある。もちろんこれはヘナムだけではなく、スピリチュアリズムにかぶれた人々はみんな科学主義に反発したのだけれど。ちなみにヘナムは心霊学調査協会なるものの設立にもたずさわっている。

 第五に、屋敷に入ると登場人物の性格が一変するという点。私は Valancourt 版でこの作品を読んだが、それにはジェラルド・モンスマンによる有益な序文がついていて、これを見ると作者はW.H.マイヤースの「第二の性格」という考え方に影響を受けているらしい。表面にあらわれている第一義的な性格が、それとはまったく異なる性格によって支配される、という考え方である。マイヤースなんて聞いたこともないが、とにかく人間の性格が単層的なものではないことを作者は認識していたという点が興味深い。

 私は以前、Spring Water というヘナムの作品を読んで、ひどく感心した。これもダートムアを舞台にした幻想小説である。「バッカスの宴」はそれを越えるかもしれないレベルの高い作品である。翻訳して紹介するだけの価値は充分にあるだろう。私はこの美文を写し取れるほど日本語ができないのでやらないけど。