Sunday, December 25, 2016

「歪めて見る」 スラヴォイ・ジジェク作 (その1)

Looking Awry (1991) by Slavoy Zizek

 この本は全編面白いが、特にミステリを扱った第三章のみを扱う。しかも私にとって興味のある部分を論じるので、全体を俯瞰したような解説は期待しないでほしい。

 まずこの章の後半部分から見ていく。ここではまず古典的探偵小説とハードボイルドの比較が行われている。よく言われるのは、前者の探偵は知的な営みをおこなうが、後者の探偵は肉体的・物理的な営みをおこなうということだ。つまり古典的ミステリおける探偵は事件をパズルとして解き、ハードボイルドの探偵は暴力にまきこまれる。

 ジジェクはもっと根本的な違いを考える。そして古典的な探偵は実存的な意味で容疑者たちのやりとりの外にいる、と言う。なんのことはない、彼は「事件=ドラマ」の外部に位置するということだ。探偵はドラマにいっさいかかわらず、部外者として外から事件を眺める。事件を外形として見る、と言ってもいい。あるいは分析者が被分析者に対するように、事件を徴候として読む、とも言える。このことを私は前のブログ(「本邦未訳ミステリ百冊を読む」)でさんざん書いた。私はこの本を出版されたてすぐロンドンの書店で買ったから、二十年以上かけて私は彼の言ったことをじわじわと理解してきたということになる。もっとも谷崎潤一郎の短編を読んで外形について考えはじめたのは、それよりももっと前のことだけれど。

スラヴォイ・ジジェク
それに対してハードボイルドの探偵は「事件=ドラマ」にかかわっていく。ジジェクはそのかかわり具合をチャンドラーの「赤い風」という短編を例にとって示している。ちょっと長くなるが、わかりやすい説明だから紹介しよう。

 「赤い風」の筋はこうだ。ローラには昔恋人がいたが、急に死んでしまった。彼女は大切な恋人だった彼の思い出として彼の贈り物、高価な真珠のネックレスを大切に持っていた。しかし夫の疑惑をそらすため、彼女はそれがイミテーションだと言っていた。さて彼女の車を運転していた運転手がこのネックレスを盗み、彼女に金を要求する。運転手はこの宝石が彼女にとってどんな意味を持つのか知っていたのだ。恐喝者が殺された後、ローラはジョンという男(マーローの前身にあたる)に盗まれたネックレスを捜してほしいと頼む。ところがそれを見つけたジョンは、その宝石がイミテーションであることに気づくのだ。ローラの昔の恋人は彼女を欺していたのである。そこでジョンはどうするか。彼はわざとイミテーションのイミテーションを宝石屋につくらせる。そしてそれを彼女にわたすのだ。もちろんローラはそれが偽物であることを見破るが、ジョンはこう説明する。たぶん恐喝者は本物を売り飛ばし、あなたにはこの偽物を渡すつもりだったのだろう、と。こうしてジョンはローラの愛の記憶を汚さないようにしたのである。

 こんなふうにハードボイルドの探偵は「事件=ドラマ」の渦中にある人のことをおもんばかるのだ。こういうところが、「事件=ドラマ」にかかわるということなのである。古典的な探偵はこういうことをしない。彼はあくまでも外部にとどまる。私は前のブログで、最初は探偵のように振る舞っていた人間が「事件=ドラマ」の渦中にある人間と、たとえば恋愛関係に陥ったりすると、とたんにその物語は探偵小説ではなくメロドラマになることを示した。彼は事件の謎を知的に解き明かすことができなくなるのである。事件が解決に導かれたとしても、それは彼が事件を徴候としてとらえ、読解したからではない。偶然に解決されたに過ぎないのである。「事件=ドラマ」の内部に取り込まれた探偵はもはや探偵ではなくなるのだ。

 古典的探偵は事件の外部にとどまり、ハードボイルドの探偵は内部に入りこむ。ジジェクはこのことから次の二点を指摘している。これは精神分析を多少かじってないとちょっとむずかしく聞こえるが大切な点だ。

 第一に古典的探偵が活躍する物語は、たいていワトソン役の人物がいて、彼が物語を書くことになっている。あるいは三人称で書かれる場合もある。しかし探偵が一人称で物語ることは普通はない。これはなぜか。ここで古典的探偵と分析者のホモロジーが役に立つのだが、探偵も分析者もいずれもラカンが言う「知っているとされる主体」なのである。この「知っているとされる主体」は転移関係において他者によって設定される存在であって、構造的に一人称ではあらわせないのだ。

 これはジジェクらしいクレバーな説明である。もちろんこの原則に反する物語もあって、それらは個々別々に検討されるべきだろう。

 第二のちがいは探偵と報酬の関係をめぐるものである。古典的探偵は報酬を手にする。たとえばポーのデュパンは「盗まれた手紙」において報酬を要求するが、それは報酬をもらうことによって事件とはすっぱり手を切ることができるからである。報酬をもらわずに無料で事件を解決したら、それは事件にかかわった誰かに、たとえば善意を感じている、負債を感じている、などということになる。そうなると彼は事件という内部にかかわりを持つことになるのだ。そうしたかかわりを一切絶ちきるのが報酬の受け取りなのである。

 それに反してハードボイルドの探偵は報酬を受け取らないこともある。彼は内部にかかわりをもち、内部の人間になんらかの負債を感じる場合があるからである。
(つづく)